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テーマ石川雲蝶 ひと・わざ・その時代【第五講座】の報告

三条雲蝶会です。

豪華講師陣による雲蝶ガイド募集養成講座
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    テーマ石川雲蝶
ひと・わざ・その時代【第五講座】の報告  

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日時平成28年2月27日(土)午後2時~4時
会場三条市総合福祉センター2階会議室
第一部雲蝶さんからのメッセージ“石川雲蝶の独創性” 三条雲蝶会 江畑徹
冒頭 雲蝶理解の基礎として近世寺社建築の流れの上にあって、その出発は日光東照宮、その装飾に当たった左甚五郎の系譜にあって、かつては雲蝶が“越後の左甚五郎”と称されました。彼の理解の視点として日本の建築、美術史の流れと世界史の普遍的な美の観点の2つを提示されました。
 日本における寺社の建築史で室町期までは貴族・武士
など支配層のためのものでした。江戸期に入ると力を
得た町人層、地方の農民層が寺社への関心が高まり、
その意向が反映されるようになった。つまり信仰の対
象だけでなく日常の生活とも結びつき楽しみの場でも    
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ありました。そこでの雲蝶の活躍は庶民の要望を受け入れつつ超絶技巧により芸術家としての自由な精神による自由な創造活動を展開した。
 世界史の視点で雲蝶作品を概観すると、わけても“越後のミケランジェロ”といわれるそのミケランジェロと比肩できる点ではルネサンスの三巨匠ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロのなかで、ミケランジェロの諸作品のコントラポストに注目するとそのダイナミズムが雲蝶のそれに比肩できると思われる。システイナ礼拝堂の最後の審判と西福寺開山堂の道元禅師の猛虎調伏図を並べて強調されました。
 最後にこうしたことを背景に雲蝶が工夫創造した作品として本成寺本照院の飛龍や獅子、静明院の欄間の透かし彫り、本山の赤牛のリアリズム、蓮如院のユーモラスな猿を挙げられました。
緻密な論理を積み上げ、豊富な写真を活用しての説明で雲蝶作品の独創性を浮き彫りにされたことに多くの方々がうなずいておられました。 

第二部 講座 「 石川雲蝶の足跡と人柄 」
講師      新潟県民俗学会理事      高橋郁丸
 民俗学の事始として魚沼地方に入り、永林寺を訪れたとき、そこでまず雲蝶作品に出遭う。その足で西福寺を尋ねてまた雲蝶作品に合い、ここから雲蝶に関るようになった。
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      石川安兵衛、号を雲蝶。とあるも刀匠とか正照などと名のる事もあった。生家が雑司が谷の鬼子母神の参道で茶屋を営んで「美濃屋」と称したことから美濃つまり現在の岐阜南部、愛知、三重にまたがる地にその祖があったのではないかと思われる。
 江戸での名声、越後三条に来ることになった契機、熊谷源太郎との出会い、源太郎との共同作業をたどり、その間の雲蝶の仕事ぶりなど菅沼正俊氏、緑川玄三氏、小出町史を活用されて語られました。あわせてご自身が描かれた美しい絵が投影されて雲蝶の実像に迫る工夫されたお話でした。
 丹念な取材、祖父母さらに曾祖父母が語られていたことを聞いておられた方々に耳を傾けられて雲蝶の実像に迫る努力をされ、その中で雲蝶に隠し子があったとの俗説は、実は恩義ある和尚さんの外子で、自由に行き来できる身の雲蝶にその子を託したのであることを突き止め、ひそかに守り通した雲蝶の心根を語ってくださいました。また石動神社の右脇障子の神功皇后の幼児を抱いた姿はこの神社の作品を制作しているときに宿としていたお家で出産があり、そうした中で製作することは忌み嫌われ、ほかに移らざるを得ない事態に遭いますがむしろそのことを祝い寿ぐ気持ちを表したのではなかったかとお話くださいました。
 多くの資料を駆使され、また自らの筆になる美しい絵を交え、伝説、俗説を整理されて雲蝶の足跡、人柄に迫る楽しいお話でした。

 引き続いて連続講座5回のうち4回以上参加された方に賞状と記念品をお挙げしました。
            5回の講座全てに参加された方 17名
         4回の講座に参加された方   15名
合わせて32名を代表して大野豊子さんに三条雲蝶会角田会長から賞状と記念品をお渡ししました。

【 現地ガイド 】のご案内
日時    平成28年3月26日(土)午後1時~4時30分
集合場所  本成寺赤門前 客殿を変更しました。
 お車は本成寺赤門前の駐車場にお願いします。
5回の連続講座で多くのことを教えていただきました。それらのことを踏まえて時間を充分にとり、一つひとつていねいにガイドします。新しい見方も披露できるかと思います。是非多くの方々の参加をお待ちしております
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